
デュラララ!!2期 第35話。
竜ヶ峰帝人による、池袋ダラーズ終焉の時。
以下感想
そして都市伝説へ
竜ヶ峰帝人による、池袋ダラーズ終焉の時。数の暴力は何も罪歌の専売特許というわけではない。
むしろ罪歌の真価は支配力で、数の暴力を本領としているのはダラーズのほう。
暴走族やチーマーたちの弱みを握ってダラーズ傘下に加えるのと、
延々と湧いて出てくるろくでなし共をダラーズから退会させ続けるのと、
どちらが簡単で楽かと言えばそりゃ前者なのでしょうけど・・・。
後述の発砲といい常人じゃ思いつきもしない行動をよくぞやってのけたなぁ。
正臣や杏里が居られる場所をつくるため、帝人が思いついたダラーズ改革は、
「誰もダラーズを名乗れないレベルの悪行を行い、ダラーズを風化させる」
う~ん、まぁまったく納得のいかない発想ってわけでもないんですけどねぇ・・・。
これが帝人の望んだ結末なのかと言われれば、決してそれは違うだろうと。
第一に、都市伝説に上り詰めたところで帝人の非日常への渇望はなくならない。
だってセルティがいる日常にすら、もはや帝人の心は動かないのですから。
第二に、そもそも「ダラーズをいい組織にしよう」ってのが、
ダラーズ結成から今日までの帝人の望みだったはず。
そしてその望みにメンバーが答えてくれた、その喜びこそが帝人の原点だったはず。
そういうわけで、帝人の目的はダラーズを理想の形に作り直すことではなく、
制御の利かないダラーズをぶち壊してでも止めることにシフトしており、
そして最終的には制御不能な自分自身を終わらせる方向へと突き進んでしまう。
純朴な顔のままどれだけ恐ろしいことでもやってのける、
そして凶行に及びながらもマトモな思慮は残し続けている。
そういう二面性こそが帝人の異常性だったわけなのですが、
それが帝人にとって最大の不幸でもあったのでしょうね。いっそ根本から変わってしまえていればどれだけ気が楽だっただろうか。
まとめ
てなわけで今回は、帝人が掲げるダラーズの終焉について。
あくまで帝人が主役の一話でしたが、いたるところで最終決戦が勃発しており、
いよいよ最終局面だなぁってカンジがひしひしとしてくる一話でした。
個人的には無表情無抑揚なの意外と乙女すぎる鯨木、
あと泉井と遊馬崎の愉快なやりとりが高ポイントでした。
さて、長きに渡る池袋を舞台とした奇妙な物語もクライマックス。
セルティと新羅の恋の行方は?帝人は日常への帰還なるのか?
そして臨也と静雄の殺し合いの結末は・・・?
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ダラーズ結成から今日までの帝人の望みだったはず。
>そしてその望みにメンバーが答えてくれた、その喜びこそが帝人の原点だったはず。
そもそもルール無用の組織を「いい組織」であり続けさせようというのが根本的に無理がありますね。
なまじ1期の時点では上手くいってた事と親友であり羨望の対象だった正臣が姿を消した事で、
ダラーズに過度に依存し理想を抱くようになったのが帝人の破綻の始まりだった気がします。
>そういう二面性こそが帝人の異常性だったわけなのですが、
それが帝人にとって最大の不幸でもあったのでしょうね。
>いっそ根本から変わってしまえていればどれだけ気が楽だっただろうか。
完全に良識を捨てて臨也みたいに開き直れたら、
あるいは非日常への渇望を抑えて正臣や杏理との日常だけで満足できていたら、
ここまで最悪な事にはならなかったんでしょうね。
結局どっちつかずのまま境界線の上を歩きたいという帝人の願望自体が破綻を抱えてたんですね。
>個人的には無表情無抑揚なの意外と乙女すぎる鯨木
静雄やセルティへの嫉妬発言といい、猫への愛情といい、機械のようでいて実に人間臭いですね。
常に笑顔で、その実セルティ以外はどうでもいい非人間の新羅と、ある意味で対照的ですね。
でも、新羅も、鯨木への交渉のついでとはいえ、あんな風に自発的に他人を励ますなんて成長したと思います。
学生時代はセルティに言われたから友達を作り、セルティに認めてほしいから友達を助ける、セルティがいるなら友達を含めて人類が滅亡しても構わないという男だったのに・・・
全くの余談ですが、帝人が正臣の足を撃った小型銃は同原作者の作品であるバッカーノに登場したものです。
帝人が言ってたアメリカのテロリストというのはバッカーノの黒幕的人物の一人です。
森厳が所属するネブラ社がバッカーノでは重要な役割を果たしてますし、1期のダラーズの初集会にバッカーノの登場人物が出演してます。
こういう知ってるとニヤリとできる演出は個人的に好きです。