前回から随分と間が開いてしまいましたが、
Fate/Zeroの総評の続きです。
今回はマスターとサーヴァントの関係が良好だった
ライダー陣営とキャスター陣営について。
ライダー陣営
まずは今作の主人公的立ち位置だったライダー陣営について。
この陣営を一言で表すと「絆」ですね。まるで親子のような関係のライダー陣営。
彼らの時にコミカルで、時に感動的なやりとりは、
殺伐としすぎている今作において貴重な清涼剤でしたね。
「この二人がいなかったらとても観ていられなかった」
という意見も知り合いから聞いたりしますw
まずはサーヴァントであるライダーについて。
ライダーはとにかく「とてつもなく大きい男」
どこまでも自由気ままなその有り様と、
「マスター」という弱点をもろともしないその強さに惹かれました。
理想に向け猛進し息苦しい生き方をしている登場人物が多い中、
現代の生活や聖杯戦争そのものを「楽しもう」とする彼のスタンスは、
とても生き生きとしていました。
そんなライダーの切り札は、
かつての臣下たちを束ね、自らの力とする固有結界。
ライダーがこうして臣下との絆を宝としているのは、
「世界」という敵に対していかに自身が小さい存在か、
無力な存在かを十二分に自覚しているからでしょうね。
自分一人でできることなんてたかが知れている。
ライダーはそのことが十分にわかっているからこそ、
目的のため何の臆面もなく他人に助力を頼むことができるのでしょう。
セイバーやランサー、アーチャーを仲間に引き入れようとしたように。
これこそがライダーの強さの真髄であり、
我々のような小さな存在、只人にとっても最も大切な力ですね。
つまりライダーが「とてつもなく大きな男」である所以は、
誰よりも自身の「小ささ」を自覚しているからだと思うわけです。唯一無二の英雄王で孤高なる存在であるアーチャーとは、
見事なまでに正反対な王道ですね。
でもって、そんなライダーだからこそ、
強がってアーチャーのような孤高な王道を進んでしまったセイバーの苦悩が
痛いほど理解できるのでしょう。
次にマスターであるウェイバーについて。
ウェイバーもまたライダーと同じく「世界」と戦っていた。
ただその世界というのがライダーのそれと比べたら
ものすご~くショボい相手だったわけですけど、
ウェイバーの身の丈からすれば十二分に強大な敵だったのでしょう。
そんなわけで、ウェイバーの参戦理由は、
ある意味ではライダーと同一に思えるわけです。
しかしその本質はライダーとはかけ離れたものでもありました。
ウェイバーの参戦時の願いは「正当な評価」
自身の小ささを自覚してはいたもののそれを認めようとはせず、
見栄を張ることのみが目的でしたね。
とはいえ別にコンプレックスを抱くことや
虚勢を張ることがそう悪いことだとは思いません。
「劣等感」こそが人類の進歩の原動力、
要はウェイバーには大成する資質が最初から備わっていたわけです。
ただし、その方向性さえ違えなければですけど。
ウェイバーは強すぎる劣等感のあまりに、
自ら無謀な戦いへと首を突っ込んでしまった。
自身の未来を、才能を、可能性を、自ら摘みとる、
もったいないにもほどがある行為ですね。
それが参戦したマスターの中で唯一無傷で生還できた上に、
人間としても大きく成長できたわけですから、
ウェイバーの持つラックはライダー以上のものだったのでしょう。
聞けば、ウェイバーは聖杯戦争終了後に、
ケイネスと同じような魔術の講師になるそうですね。
決してケイネスのようなエリート講師ではないのでしょうけど、
かつて劣等感のあまりに無謀な戦いへと挑み、
ライダーとの出会いで見識を大きく広げたウェイバーなら、
確実にケイネス以上の偉大な教育者となれるでしょう。
魔術師って輩はどいつもこいつも異常に狭い見識の持ち主ですしww
キャスター陣営
次に最も良好な関係を築いていたキャスター陣営について。
この陣営を一言で表すと「純真」ですね。幼い子供たちを好き好んで殺し続けたこの二人を「純真」と例えるなんて、
我ながら「何言ってんだコイツ」ってカンジなんですけどw
だけどこの二人は価値観が一般人からかけ離れているだけで、
その行動原理はどこまでも純粋なものでした。
キャスターはジャンヌ・ダルクを失ったことをキッカケに、
神の存在を証明しようと自ら背徳を繰り返してきた。
言うなれば強すぎる神への、ジャンヌへの信仰心の裏返し。
信仰が強すぎるのも考えものだよなぁという好例。
まぁでも根はすごくいい人なのでしょうね。
で、そんなキャスターを師として慕っていた龍之介なのですが、
正直この男の異常さはキャスターの比じゃないと思います。
「この世界はエンターテインメントで、神はその脚本家」
龍之介は自身と神、人の生と死、
森羅万象すべてを一括に「舞台装置」と捉えているのでしょう。だから龍之介は自身の殺人を、
舞台を盛り上げるための芸術と考えているのではないでしょうか。
もはや悟りの境地というかなんというか・・・、
龍之介ならアーチャー以上に上手く綺礼を導くことができたのでは?
とさえ思えてきます。
どれだけ異常な環境にいればこの境地にたどり着けるのか、
ものすごく気になりますね。
そんな二人は聖杯戦争の枠組みにとらわれず、
好き勝手大暴れして、満足しながら死んでいった。
志半ばに悲惨な死を遂げる登場人物が多い中、
この二人が幸運な最期を迎えたというのはなんたる皮肉。
あらゆる意味でイレギュラーすぎる陣営でしたね。
まぁやっていることや使役する悪魔がめちゃキモいこともあって、
決して好きになれる連中ではなかったですけど。
まとめ
てなわけで今回はマスターとサーヴァントの関係が良好だった
ライダー陣営とキャスター陣営についてでした。
次回は聖杯戦争の裏で共謀し、結果的に真の勝者となった、
アーチャー陣営とアサシン陣営についてです。
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ライダーとの出会いで見識を大きく広げたウェイバーなら、
確実にケイネス以上の偉大な教育者となれるでしょう
これに関しては断言できますね。
ケイネスは、自分の価値観から外れたウェイバーの論文を頭から否定して問答無用とばかりに破り捨てました。
これに対して、ウェイバーは口では文句を言いながらも、どんな生徒も見捨てません。さらに彼に教わって成功しなかった生徒はいない、というくらいの凄腕講師になっています。
当然生徒からの人望も厚く、ウェイバーについていく生徒が集まれば、時計塔の勢力図が変わると言われています。
もっとも、本人にはその類の野心はないらしく、「なんでまだ未熟な私が他人の世話をしなければならないんだ」と、愚痴を漏らす日々です。
>どれだけ異常な環境にいればこの境地にたどり着けるのか、
ものすごく気になりますね。
龍之介の根本は、綺礼と同じです。環境によって悪になったのではなく、生まれついての破綻者なんですよ。しかも、綺礼と違って、道徳や信仰に縛られることなく思いのままに生きてきました。
最初の殺人の動機も、スプラッター映画の嘘くさい『死』では満足できず、本物の『死』をどうしても観たくなった、というものです。殺人が犯罪だというのは当然知っていましたが、心からやりたいと思ったことを我慢するのは良くない、と最初の殺人以降も、各地を転々としながら様々な殺害方法で殺人を繰り返し、聖杯戦争前に42人もの犠牲者を出してます。
そして、ただの殺しに飽きて、実家の土蔵で見つけた魔道書を元にした儀式殺人を始めたわけです。
計画性皆無の快楽殺人者にも関わらず、証拠隠滅と捜査攪乱に長けていて、一度も容疑者に上がることはありませんでした。それどころか、警察は彼の殺人が同一犯によるものであることにさえ気づきませんでした(殺人と立件されていないものまであります)
儀式殺人が思っていたより楽しかったので、ついハメを外して派手に繰り返した挙句、一家皆殺しの凶行に及んだところで、キャスターを召喚してしまったわけです。
龍之介の先祖は、第二次聖杯戦争に参加していた魔術師ですが、すでに普通の家になっていて、龍之介は魔術の存在を知りませんでした。
魔術の資質はあっても、何の訓練もしていない一般人(殺人鬼ですけど)で、聖杯の存在も知らない龍之介に令呪が宿ったのは、聖杯が汚染されてた影響です。